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  • 執筆者の写真AURORA

フラメンコも人生も結果が全て(できるようになりたいではなく・できるようにする)

フラメンコも人生も

結果が全て

(できるようになりたい

ではなく・できるようにする)





フラメンコショーが終わって

出演した生徒さんから

お礼のメールや

Instagramのフォロワーの方など

ステキな感想のコメントを

頂きました。

それを踏まえて

改めて思うことは

「結果が全てだ」ということ。



フラメンコショーの全編の動画を観て

「踊れている自分」を確認する。

自分自身が納得できる結果を確認する。

そこではじめて

頑張ってきてよかった~、思える。

「ありがとうございます」の心境になる。





フラメンコ経験者のお友達に

「私は3年習っていたけれど、

1人で踊れなかったし

上手だね~」という

言葉をもらう。

そういう言葉がもらえるのも

「結果が良かったから」

結果が良くないと

「ありがとう」という心境になれない。

フラメンコをやってて良かったと思いにくい。

だからこそ

やるからには

「フラメンコが出来るようになりたい」

ではなく

「フラメンコを出来るようにする」と決めて

合理的な努力をして欲しいな~

と感じます。



教える側も同じです。

というか

教える側はもっとシビアで

生徒さんが求める結果を出せなければ

「先生の教え方が悪い」と

思う人もいるわけで。

大人なので

口には出さないでしょうけれど。

そこで

「私は一生懸命教えているんだ」と言っても

その人からしたら

「そんなの知らない」となるんです。



生徒さんも同じです。

「頑張って練習しているんです」と言われても

結果

課題をクリアしていなければ

「練習の仕方が悪いんだろう」と思う。

先生側からすると

成長が止まっているときは

必ず我流で間違った判断をしている。

そこに気がついてもらうのは

なかなか難しい。




我流の練習に走っているときは

何時間も練習して

頑張っているから

無駄な時間を過ごしている、

とは思いたくない。

むしろ

頑張っているから褒められるはず、と思う。

(私の場合は褒められたい、

より

自分が納得できるかどうか、が

重要でした)



昔の私がそうだったんです。

無駄な時間を3年くらいは過ごしている。

タイムマシンに乗って

今の私が

昔の私に

フラメンコを教えたいくらいです。



例えるなら、、、

普通のおうちカレーが好きな恋人に

3時間かけて

スパイスいっぱいのインド風カレーを

愛情込めて作る。

そして食卓を囲んでの食事。

食べるやいなや

「オレは普通のカレーが好きだから」と言われた!!



3時間かけて作ったカレー。

レシピを調べて

研究して

とても私は美味しい、と思っている。

当然

「ありがとう、こんな本格的なカレーが作れるなんて

すごいね」

と褒められるかと思いきや

「好きじゃない、美味しくない」という

結果が出た、というわけ。

そこで

「3時間かけて作ったのにヒドい!!」

「やさしくない、大嫌い!!」

といって大げんかする展開になるのか

「そうなんだ~」と凹んで

でも次に生かそうとするのか。

ここは

人柄と性格と相性ですよね~



私は

「人は経過より結果をみる」

思っています。

だから

良い結果出る経過を過ごすことに集中します。

(経過を楽しむのは趣味や自己満足のため)

そして

結果はすぐには出ないモノ。

時間がかかることもわかっている。

だから

そのあいだは淡々とこなすだけ。

そこで負の感情は無駄かな~逃げかな~

という考えです。

3時間かけて作ったのにヒドい!

と思っても深追いしないで

次は30分で普通のカレーを作って

褒められればいいだけ。

そんなカンジで

そこは

サラッとサクッと次に行った方が合理的。



アナタは

「合理的な努力」できてますか??

無駄な努力して

ドツボにハマらないようにしてね~

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